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なにかあり/とくになし

ふたりで茶でも 安藤明子インタビュー その5

知らない漫画家の
一冊の漫画を読んで
ひさびさにショックを受けた。


こんな衝撃は
ゴトウユキコの「R-中学生」以来?
でも、
画力というか
漫画家としての見え方は
彼女とは正反対で。


その漫画とは
ロドみ「ロドみの耳はロバの耳」1巻(Next comics)!


漫画家を目指す24歳の若者、
正確に言うと
紙の漫画家を目指すウェブ漫画家が、
淡く浅はかな野望を抱いては
憧れの雑誌に投稿し、
挫折を繰り返すさまを、
その実際の投稿作品を公開しながら
ドキュメンタリー的に構成するという作品。


バクマン。」に描かれている物語の
はるか下のほうにある話というか。
でも、
こちらのほうが現実なのだということを
ぼくたちは本当は知っている。


そのどうしようもないリアリティと
考えの甘さもふくめての不屈の精神と
いやひょっとしてこれおもしろいかもと思わせる
不意のペーソスが
愛すべき何かをぼくのなかに芽生えさせるのだ。


作画力の無さは本気でハンパないが、
かつて教科書やノートの片隅にでも
漫画家を目指した何かを書きつけたことがある者なら
投稿作品で
ロドみの描く絵柄や
無理矢理なストーリーには
全員(忘れてしまいたい)身に覚えがあるはずだ!


電車のなかで
行きも帰りも
笑って泣いて
泣いた自分を後悔した。


今年も押し迫ったところで出会った
そんな忘れられない漫画です。


さて前置きはこれくらいにして
安藤明子インタビュー、
今日は5日目。


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安藤 「バンさんのこと何で知ってるのかな〜?」ってしばらく考えてたら、思いだしたんですよ。短大の2年生のときに、友だちと3人で住んでたんですけど、そのうちのひとりがクレイジーケンバンドが好きだったんですよ(笑)。それで、CKBつながりで、渚よう子さんも好きで、京都METROに渚さんがライヴで来るから「一緒に行かへん?」って誘われて見に行ったんです。その日はわたしも、ちょっと昭和っぽい感じの格好して出かけました。そのときにバンさんのやってたbambinoが一緒にイベントに出てたんですよ。だから、そのとき見てたんです。「わたしバンさん見たことあった!」みたいな(笑)。


松永 思い出せてよかった(笑)


安藤 それで「実はバンさんのこと知ってました」って初めてお会いしたときに言ったんですけど、本当は見たことがあるだけで何も知らなかったんです。だから、それだけじゃ失礼になると思って、その場で「演奏させてもらいます」と言って、歌をうたったんです。そしたら「いい! やりましょう!」って返事してくれて。そこからいろんなことがはじまったんです。それが2008年の5月です。


松永 へえ。そこから意気投合して、レコーディングをすることになったんですね。


安藤 そうなんですよ。ミニ・アルバムの『Anの部屋』を、その年の夏に録音して、秋に出して。


松永 翌年の春先だったかな、ぼくのところにバンさんからCDが送られてきたんだと思います。「今度、安藤明子という女の子をやります」みたいな感じの手紙を添えて。もちろんぼくも安藤さんのことを全然知らなかったので、聴いて「えー! すごい」みたいな。カセット録音の音質もびっくりしたけど、とにかく曲がめちゃくちゃよかった。「すてきなキス」に、いきなり薮のなかから鋭いものでひと突きされた感じがしたんです。ざらっとした音質が、ほんとに女の子の部屋の中で録ったみたいに錯覚させてくれて、どきどきしたし。小西さんにもバンさんはCDを送ってますよね?


安藤 あ、それはねえ、大阪のシャングリラであった前園直樹グループのライヴ(2009年2月)をバンさんと一緒に見に行って、直接お渡ししたんですよ。


松永 その直後かな。安藤さんの話を小西さんとした記憶もあるんですよ。


安藤 そうなんですか。でも、バンさんと出会ったあたりから、手づくり市でわたしが培ってきたものも結構盛り上がってきたんです。あの市は、全国や海外からもお客さんが見えるので、ちょっとしたリアル版インターネット・ショッピングみたいな感じなんですけど、そこに来たひとからもライヴの誘いを受けるようになってきたんです。「ぼくのいつも行ってる喫茶店でうたってほしい」とか名古屋のひとに言われたり。YouTubeに初めてわたしの映像がアップされたのも、そのころなんですよ。


松永 どの映像ですか?


安藤 鴨川で高田渡さんのカヴァー「私は私よ」をうたってるんです。あれは「高田渡」検索で、すごく見てもらえたみたいで。そしたら、映像があがってすぐくらいに、水戸に住んでる高田渡マニアのひとから連絡が来たんですよ。ゲンさんっていうかたなんですが、そのひとが「今までの安藤さんの音源を全部買いたいです」って言ってくれて。そしたら偶然にも、わたし、そのころ、茨城県にうたいに行く予定があったんです。わたしの友だちの写真家が茨城県の日立に住んでいて、彼の展示会でうたうという約束をしていたんですよ。「実はそっちに行くんです」とご返事したら、「じゃあ是非、そのついでに水戸でもうたってください」という展開になって、ゲンさんがお膳立てしてくださったんです。


松永 ああ、そう言えば、そのころ水戸でもライヴやってましたよね。安藤さんってどんなひとかなと検索したときに、水戸とかのスケジュールが出てきたのを覚えてます。


安藤 そういうところが、すごくつながっていっておもしろかったですね。しかも、その水戸のゲンさんって、前園直樹さんが学生時代に水戸にいらしたときにすごく仲良くされてたかただったんです。それで、前園さんにも「こういう女の子がいるよ」って、もうすでにゲンさんから紹介が行ってたみたいなんです。それでシャングリラで前園さんと会ったときに、ゲンさんの話をしたら、「あ、知ってる知ってる、彼からも連絡もらってたんだよ〜」って。ゲンさんも「前園くんとは、いつかつながると思ってたから、よかった」って言ってくれて。だから、バンさんからも小西さんや前園さんとつながったし、水戸のゲンさんからも前園さんにつながって。そういうつながりかたが、すごくおもしろかったですね。


松永 あのとき、茨城のスケジュールとかを見て、ぼくは「京都のひとなのに、ぼくが知らなかっただけで、すごく全国的な草の根の人気のあるひとなんだなあ」と勝手に想像したりしてました(笑)。でも、そのときは、たまたまそういう偶然だったんですね。


安藤 そうなんですよ。今ほどはあちこちに行っていなくて。まだ東京でもライヴしたことはなかったですし。


松永 そうそう。確かそのときのスケジュールも茨城と横浜みたいな感じで。「東京は素通り? 変わってるひとだなあ!」とか思ってました(笑)


(つづく)


ふたりで茶でも 安藤明子インタビュー その5