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なにかあり/とくになし

ぼくのカバンはぶかっこうにふくらんだまま

昨日は
坂本慎太郎のPV騒動(ぼくのなかでの)で中断したが
このところずっと
北沢夏音Get back, SUB!」(本の雑誌社)を読みつづけている。


通勤の電車のなか、
区切りが悪ければ歩きながらでも読み、
家に帰れば
風呂につかりながら。


「SUB」という
70年代初めの神戸に存在したリトル・マガジンの
冬の花火のようなまぶしくはかない存在感と
その雑誌を主宰した小島素治氏の
強烈な生き方(と同時に痛切な死に方)をイントロダクションに
かつて日本に存在していた真のマガジン・カルチャーの興亡を
(そしてその探求と合わせ鏡になった現代的な可能性を)
数々の証言をもとに
丁寧に選び抜いた言葉と
たくましい思考の腕力の
両方で縦横断するこの一冊。


身震いするほど
おもしろいのだ。


でもさ、
そんなにおもしろいって言うのなら
まとめて時間をとって
夜も昼も忘れて読んでしまえばいいのに、ねえ。


そうだよねえ。
でもねえ。


クイックジャパン」連載時に
おもしろく読んでいたつもりだが、
単行本化にあたって
かなりの加筆訂正がなされているからというだけでなく、
熱量の圧縮に大いに気圧されるところもある。


だから
今のところ
ぼくの毎日には
この読み方が合っているのだと思うことにしている。


それに
北沢さんが
この本のなかでたどる思考と行動の足取りには
読者として
ついわくわくと歩を揃えたくさせるものがある。


このぜいたくな一冊に封じ込められた
おおいなる時代の混沌と興奮を
情報として急いで消費してしまったらバチが当たるぞという
警告音のようなものも
ぼくには聞こえる気がするのだ。


なんてね。
怠け者のいいわけです、たぶんこれは。


というわけで
まだぼくは
分厚い本の半分までも達していない。
まだ途中につき
これ以上の感想はさておく。


とりあえず
あともうすこしのあいだ、
この本のせいで
ぼくのカバンは
ぶかっこうにふくらんだままだ。