mrbq

なにかあり/とくになし

落語でDJは可能か

立川談志の「古典落語メドレー」に
ぼくとおなじようにショックを受けたひとは
すくなくないだろう。


こないだ
情熱大陸」で放映されたやつだ。


メドレーというのはいささか古臭い表現で、
要は
古典落語のさわりを
次から次へと
自在に切り貼りしながら語りついでいく。


つまり
ターンテーブル2台とミキサーを使って
次々とレコードからレコードへとつなげていく
DJのようなものだったのだ。


なにがすごいって
短い噺だと、ものの5秒もしゃべらない。
それなのに
それぞれの噺が一本の落語の一部だと察知させるんだから。


それはもうすべて
たぐいまれな直感力と編集力はもちろん、
細部から全体まで
素材のすべてを知り尽くした甲斐あってのこと。


ただ天才なだけじゃ
あれは出来ない。
度を超した研究と
度を超した愛情のたまものだ。


途中で
どこまで何を話したか忘れてしまい、
付き人さんにガチで訊ねる場面もあってひやひやしたが、
あれもきっと
DJふうに言えば
クラッチみたいなものだろう。


その間を利用して
呼吸を整え、
案の定
そのあとは一気に畳み掛けにかかった。


抱腹絶倒の瞬間も
ストーリーも
気の利いたオチもない。
落語の美しいと思うところだけをえり抜いて
一気にミックスしたような
痛快きわまりない落語DJだった。


立川談志ほどのひとであれば、
自分の死期がもう遠くないことは知っていたはずだ。


そして
この舞台は
情熱大陸」の企画として収録されているのだから、
もしかしたら自分の死後に放映されるものになるということも
薄々とわかってもいただろう。


あの「古典落語メドレー」は、
その日その場所に居合わせた幸運なお客さんだけじゃなく、
ぼくたちみたいな
遠いところから物珍しげに瀕死の落語家を眺めている連中に対しても
遺言の代わりに
自分が愛した落語のかたまりを
投げつけてみせようとしたものだったのかも。


ぼくに出来るのは
せいぜいそんな邪推ぐらいだけど。


これでもくらえという悪態と、
ありがとうございましたという感謝、
最後に深く頭を下げた談志の姿には
その両方の気配があった。


それが立川談志にとって最後の高座だったわけではないけれど、
あの放送を見たひとは
談志の「古典落語メドレー」を
ある種の遺言のように記憶したと思う。


ちくしょう、
すごいものを見てしまった、というのが正直な気持ちです。