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なにかあり/とくになし

森の話 mori no hanashi その3

森は生きているのインタビュー、第3回。


今回は、現メンバーのなかで一番あたらしく参加したキーボードの谷口くんの話から。1月に初めて見た彼らのライヴで、じつは一番存在感があったというか、たのしそうに演奏をしていたのが谷口くんで。まさかそのときは、まだ加入してから半年も経たない新参者だとは、まったく思えなかった。


それから、森は生きているの名前の由来についても少々。


森の話はまだまだつづく。


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──今日きてくれている4人のなかでは、じつは一番あたらしいメンバーで、最年長でもあるのがキーボードの谷口くん。最年長といっても、まだ27歳なんですけど(笑)


谷口 ぼくはもうずっとクラシック・ピアノを3歳くらいからやってたんです。ギターも小学校のときに始めて、高校でバンド・デビューして。その頃はUKものっぽいオリジナル曲とかも作って。でも、バンドにはあんまり恵まれない感じで、なぜかシューゲイザー系のバンドでドラムを叩いたりしてた時期もあって(笑)


──ここにもまたひとりドラマーが!(笑)


谷口 そうなんですよ! 森は生きているは、ドラマーが多いんですよ(笑)。でも、そのいっぽうで、ザ・バンドとかが好きだったから、いつかこういうバンドがやりたいなと思ってました。思ってはいたんですけど、メンバーはいない。だから、ひとりで宅録して、エミット・ローズみたいなことやってました。


──なるほどね。


谷口 ぼくと高校のときに一緒にバンドをやってた女の子が今も音楽をやっていて、そのサポートとかでのライヴは今でもしてるんです。4、5年くらい前かな、その子のライヴに増村くんとぼくが一緒のタイミングでサポートに入ったことがあったんですよ。


──へえ! じゃあ、ここ(増村)とここ(谷口)はつながってたんだ。


谷口 そのときはあんまり話はしなかったですけど。


増村 一応、面識はできたね。


谷口 それで、時は流れ、去年の秋ぐらいですね。ぼくが森は生きているに入ったのは。


──去年の秋か。まだ半年も経ってないんだ。


谷口 その前に、森は生きているの存在は知ってたんですよ。増村が加入したくらいのタイミングだったかな。普通に、いいバンドだなと思ってYoutubeとか見てましたね。それがある日、ブログを見てたら、「鍵盤が抜けました」って。


──ほお!


谷口 「このままではライヴができません。鍵盤募集してます」ととも書いてあって。その書き込みにあった「ぼくらはこんなバンドが好きです」という例が、「おれも全部好き!」みたいな感じで(笑)


岡田 そうでしたね。ザ・バンドも書いてたし。


谷口 ザ・バンドに始まり、ハイ・ラマズもあり、ミレニウムもあり、はっぴいえんどもあり。もうこれはぼくしかいないでしょ、と思って、増村にひさびさに連絡を取ったんです。すごく長い文面のメールを送りました。そしたら、「セッションにおいでよ」って返事がきて。


増村 それが9月だったかな。ぼくが6月に入って、前の鍵盤の人とも7月に一回ライヴをやってるんですよ。CDのレコーディングもその6人で進めてたんですけど、8月に鍵盤の彼がやめちゃって。その直後、すぐきたよね。


谷口 9月の半ばくらいでしょ。最初は「サポートで」って増村にも言われてたし、そのつもりでセッションに行ったんですよ。そのつもりだったんですが……。


岡田 確か、ザ・バンドの「ウェイト」やったりして。


谷口 なぜか全部ぼくが歌ってたという(笑)


増村 いや、最初はおれが歌ってたよ。


谷口 そうか、リック・ダンコのパートからぼくが歌ったんだった。そういうことがあって、「いいじゃん」って思ってて、そのセッションのあと、みんなでラーメン食いに行って。それで翌日、ホームページ見たら、ぼくの名前が載ってたという(笑)


──増村くんとおなじじゃんか(笑)


増村 どこかでその話きいたことあるな(笑)


岡田 でも、おもしろいのが、4年前にふたりが出会った時点では、お互いにそういうルーツ・ミュージックが好きだって知らなかったらしいんですよ。


増村 お互いサポートで行って、さらっとした演奏をこなして、「お疲れ!」ってあいさつして帰るみたいなね(笑)


──そうやって話をきいてると、岡田くんというか、森は生きているというバンドが、みんなが隠し持っていた濃ゆい音楽性を引き出しているところはあるね。


岡田 それはかなりありますね。


──谷口くんとか、ライヴ見てても存在感あったもんね。一番あたらしいメンバーとは思えない(笑)。みんなが気持ち良くやれるっていうのは、「ここは自分を出していい場所だ」って認識があるわけだから。


谷口 そうですね。本当にみんなの演奏見てると気持ちいいんですよね。


──それがバンド感ってことなんだろうけどね。そこがよかった。もっと背伸びした頭で考えた感じの、ぎこちない音楽かもしれないという想像もしてたから。でも、ライヴを見たら違った。


増村 逆に言うと、見に来ていただいた1月のライヴが、そういう感じにやっとみんな慣れてきた時期でもあったんですけどね。


岡田 そうですね。


増村 11月にちょっと大きなライヴがあって、そこで初めて「ああ、やっとバンドっぽくなったな」という感じが持てたので。


──でも、そこでまた前のベースの人が辞めちゃったわけでしょ?


岡田 そうなんです。「おれ、やっぱりついてない。もう終わってんなー」って思いましたよ(笑)。でも、そこで声をかけたのが今のベースの久山なんです。久山はぼくの高校時代の友だちで。休み時間とかずっとひとりで本読んでるようなやつで、「おかしいやつだな」と思ってたんですけど、ある日ギターを持ってたんで声をかけたら、お互いに結構趣味が似通ってたんです。それで仲良くなったんです。ぼくが日本語の音楽に興味を持ったのは久山の影響なんですよ。


──そうなんだ。


岡田 久山がぼくの高校の同学年では一番最初に日本語のオリジナル曲をつくったんですよ。そのときは違うバンドだったんですけど、「くそー、くやしいな」と思ってて。そのあともずっとぼくも日本語のロックをつくりたいとは思ってたんですけど。久山とは大学も違うところに行ったんで、たまに遊びに行ったりする程度の付き合いになってしまって。でも、もともと久山は森は生きているの結成当初のメンバーだったんですよ。


──ほんと? じゃあ一回辞めて出戻り?


岡田 そうなんです。というのも、やつは大学に二浪してて。で、森は生きているが始まった頃に、大学に入ったんです。高校のとき、久山はおもしろいやつだったからバンドに誘ったんですけど、2回ライヴをやったところで、大学生活にいそしみたい、ということになって、いったんバンドを抜けちゃったんです。


増村 こないだ、久山くんが家にきてくれていろいろ話をきいたんだけど、ちょうどぼくと入れ違いぐらいに彼はバンドを辞めてるんですよ。でも、ぼくが入ったっていう話は、きいてたらしいね。


──そうかー。でも、自分はバンドを離れてたけど、気にはしてたんだ。


岡田 一応、森は生きているというバンド名の名付け親ですしね。


──あ、バンド名! その話をしなくちゃ。バンド名が森は生きているに変わったときの話。このバンド名は久山くんのアイデアだったんだ。


岡田 というか、もともと久山のツイッターのアカウントが「森は生きている」だったんですよ(笑)


増村 そうなんだ! 知らなかった!


岡田 「それ、おもしれーな」ってぼくが言って、じゃあ、ぼくとバンドもやるってことになったんで、それをつけてみればって思ったんです。でも、普通に見れば、パッとしないバンド名じゃないですか?


──パッとしなくはないよ。ギョッとする。名詞じゃなくて文章だから(笑)。英語っぽくもあるよね。ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツとかさ、あれも日本語にしたら文章じゃん。


岡田 ある日、久山が家に遊びにきたときにおもしろい話をしてくれて。森っていう字をローマ字で書くと「mori」。「これ、ラテン語にすると“死”って意味じゃん」って言ったんです。「メメント・モリ」とかの「モリ」もそうなんですけど。だから、「“mori”と“生きている”をつなげるとおもしろいね」って。


谷口 その話、知ってた?


増村 知らなかった(笑)


岡田 これはやっぱりこのバンドにいいんじゃないかなと思ったんです。こんなスタンスで音楽をやっている僕たち自身“死んだ人たち”なんで(笑)。その考え方がすごく気に入ったんで、バンド名にしました。だから、久山から名前をいただいたようなものなんです。


──「森は生きている」でイメージするのは「ドラえもん」のエピソードだったり、ロシアの童話だったりもするけど。


岡田 久山が意味してたのは「ドラえもん」のほうでした。ぼくもあの話はすごく好きだったんで。


──いい話なんだよね、これが。


増村 ホントですか! 読もうかな(笑)


──孤独なのび太を、ドラえもんひみつ道具によって人格を与えられた森が守ってくれるんだけど……、って話ね。てんとう虫コミックスの26巻に載ってる。


増村 そうなんですか……って、おれがきいちゃダメですよね。メンバーなのに(笑)


谷口 まだサポート感あるんじゃない?(笑)


増村 いや、ない! 全然ない!(笑)


(つづく)



谷口雄 森は生きている