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なにかあり/とくになし

A visit to Andy Warhol Museum at night

アンディ・ウォーホルアメリカ東部ペンシルヴェニア州ピッツバーグで生まれ育ち、大学を卒業するまで地元にいたことは、あんまり知られていないかもしれない。生粋のニューヨーカーとして彼のことを勘違いしている人は少なくないし、出自が知られていたとしても、その後の輝かしい履歴に比べれば語られることは稀だ。


だから、アンディ・ウォーホル美術館がピッツバーグにあるということに「え?」というリアクションをする人は少なくない。アンディ・ウォーホル美術館はダウンタウンの一角にある。ピッツバーグ・パイレーツの本拠地PNCパークにほど近い街角に建つビルがそれ。




そのアンディ・ウォーホル美術館の1階エントランスにあるラウンジで、11年にわたって不定期で行なわれているライヴ・イベント、“サウンド・シリーズ”。ウォーホルとなんらかの関係がある、あるいは影響下にあるミュージシャンやバンドがこのシリーズには出演してきた。そのイベントにジョナサン・リッチマンが出演した。辛抱強い出演依頼と、ジョナサンのツアー・スケジュールがようやく合致しての初登場だという。




野球のシーズンが終わって、陽が暮れたスタジアム周辺はひっそりとしている。何軒か営業しているバーも見かけたが、人影はまばらだ。だが、7時半過ぎに美術館に到着すると、その周囲にだけは列ができていた。40代、50代の年季の入ったアメリカ人オタク第一世代みたいな人もいるし、ブロンドの髪を短く揃えた女の子もいる。アメリカでジョナサンのライヴに行くと、いつもその世代の幅、性格の幅に驚く。


ほどなく美術館がオープンして中へ。午後5時で閉館した美術館を、ひとときのインターバルを置いてライヴ・スペースにしてしまうわけで、いわゆる“インストア”的な簡易さとは違う雰囲気になる。なにしろ、ドリンクカウンターではアルコールも買える。隅のほうに“アンディ・ウォーホル式三分写真ボックス”があって、さっそく男女がしけこんでいた。




ライヴはこの一階フロアのラウンジにステージを組み立て、オールスタンディングのライヴハウス形態で行われるようだ。


「あー、リョオヒ?」


不意に話しかけられてびっくりした。こんなところに知り合いがいるはずがない。しかし、振り向いてみたら向こうはぼくを知ってる様子。


「前にレコード屋であったよね?」


あー、その顔には見覚えがあった。彼はレコード屋でバイトしていて、その店が倉庫の在庫を見せてくれることになったときにぼくをヘルプしてくれたのだ。作業のBGMとして、そこにあったラジカセで、彼がかけてくれたのがゆらゆら帝国の「空洞です。」でびっくりしたことを思い出した。「おれ、マックスウェルズに彼らのライヴを見にいったんだ」と言っていたはず。


残念ながらその店でのバイトはやめてしまったらしい。「今日、おれははじめてジョナサン・リッチマンを見るんだ。きみは見たことあるかい?」と聞かれて、25回と正直に言おうかと思ったが、引かれそうなので「何回かね」と控えめに答えるだけにしておいた。


「enjoy」


そう言って、彼は彼女とバー・カウンターのほうに向かった。




やがて、フロアの照明がすこし暗くなり、ジョナサンとトミー・ラーキンスが颯爽と舞台に登場。スパニッシュギターをつかんだジョナサンが掲げながら(ギターにストラップはついていない)、弦をかき鳴らしはじめ、今夜もライヴがはじまった。


3曲目だったかな、「ザット・サマー・フィーリング、ザット・サマー・フィーリング、ザット・サマー・フィーリング」と歌い出したジョナサンは、歌を続けるかと思いきや、「ここはアンディ・ウォーホル美術館。ぼくがアンディ・ウォーホールに会ったのは5回か6回。はじめて会ったのは1967年のニューヨーク。ぼくは16歳だった。そのときのことを正直にしゃべるよ」と語り出した。


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに夢中だったぼくは、彼らを通じてアンディに会った。まだ16歳で、何も知らなかったぼくに、アンディはそれまでに会ったどんな人よりもきちんと対応してくれた。“ハイ、アンディ、ぼくはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファンです”」


「ぼくは怖いもの知らずにも続けて言った。“でもアンディ、正直にいうと、ぼくはあなたのアートがよくわからないんです”。まだ16歳だからね(笑)。そしたら、アンディは言った。“きみはわかっているさ(Yes you do)”」


「アンディの言った意味をぼくは考え続けた。ある日、スーパーマーケットに行ったとき、缶詰スープの前で立ち止まった。キャンベル・スープの缶が並んでいた。それを眺めていたら、突然思ったんだ。“この色とかたち! ぼくも色とかたちを表現したい”と」


「そしてぼくはギターを弾いた。今もギターを弾き続けてる。16歳のぼくはルー・リードにもこんなことを聞いた。“曲の最初の一音にはどういう意味がある?」ルーは答えた。「いろいろだよ、坊や(My son)”」


「このちょっとスプーキーな場所は、ぼくにいろんな昔のことを思い出させてくれた。ありがとう、アンディ」といって、ジョナサンは「ザット・サマー・フィーリング、ザット・サマー・フィーリング、ザット・サマー・フィーリング」ともう一度3回口ずさんで、曲を終えた。それがこの夜のジョナサンが歌った「ザット・サマー・フィーリング」だった。


64歳になったジョナサンが語る16歳の気持ちは、16歳そのものだった。なんでなのか、ぼくは泣いていた。ぼくのなかにまだくすぶる、なんにも知らずに背伸びしていた16歳のぼくに、その言葉はさわっていた。


曲を終えると、「もしきみたちがピッツバーグに住んでいて、昼間に時間があるのなら、この美術館を訪れてみるといいよ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのすばらしい展示があるし、ここで見ることができるシルバー・クラウズ(巨大な銀色の空気枕がたくさん空間を飛び交うインスタレーション)はたいしたものだよ。もしきみがすぐにはそれを理解できないとしても、いつかきみ自身の方法でそれがわかるだろう」


「これ、アンクル・ジョナサンがウォーホルから受け継いだ教えだって、覚えておいてくれ」そういってジョナサンは笑い、観客もみんな笑った。


アンディ・ウォーホル美術館でジョナサン・リッチマンを見た夜。おわり。