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なにかあり/とくになし

1999年11月のある日、あるバンドと

あの夜も11月だったなと思い出す。
1999年11月のある日、ニューヨークのペン・ステーションからコネティカット州ハートフォードに向かった。
途中の駅で降り、車で迎えに来てくれていたトムとジョニーと合流した。
今夜、バンドはコネティカットの地元テレビ局で行われるスタジオライヴをやる。その前にハートフォードのホリデイインにチェックインすることになっていた。
「ホテルはテレビが支払ってくれたらしいぜ」「そりゃいいな!」
トムがぼくに耳打ちした。「ハートフォードからおれの家まではすぐだからさ、おれの分で取ってある部屋にリョウヘイは泊まるといいよ。タダで泊まれるんだからさ!」「わー、いいのかな、サンキュー」
しかし、話はそう簡単じゃなかった。
ホテルに着くと、テリー、ジョーイ、ローディのジャンジャンが先にいた。揃ったところでチェックインをする。だが、宿泊名簿に彼らの名前がない。
「そんなはずないだろ」「エージェントの名前で予約してあるはずだろ」
すったもんだのやりとりの末、ある事実が判明した。
「すいません、みなさんのご予約は昨日でした。すでにすべてキャンセル扱いになっております」「オー、ノー!」
一同あきれかえっているところにロードマネージャーがやってきた。なにやらフロントと交渉すること十数分。「OKです!」「ほっ」
部屋に入ると、トムが笑いながら言った。「まあ、よくあることさ」
ちょっと寝るよとトムが言うので、ホテルを出て街を歩いてまわった。ハートフォードダウンタウンは閑散としていて、冬の始まりを告げる風がときおりひゅうひゅうとビルの谷間から吹き込んできた。


スタジオでの2時間ほどのライヴが終わった。彼らの地元に近いこの街のライヴはテレビ収録につき無料ということもあり、昔からの顔なじみもたくさん詰め掛けていた。メンバーを介して、いろんな人たちとあいさつをした。
数日前にニューヨークのバワリー・ボールルームで行われた30周年記念の2デイズにはアメリカ中、世界中から年季の入ったファンが詰め掛けていた(ルー・リードも隅からライヴを見ていたそうだ)。その晴れやかな雰囲気もすばらしかったけど、より普段着に近いファンが集まっている今夜も、バンドが生きてきた歴史を感じさせるものだった。テレビのスタジオなので全員が着席だったことを除けば。
ライヴが終わったあと、スタジオからホテルまではすこし距離があるので、トムの友人と待ち合わせて車で乗せていってくれるという約束になっていた。
ところが30分ほど待っていたのに、トムがどこにも見当たらない。そのうち機材を片付けていたジャンジャンが出てきたので「トムを見たか?」と聞くと、「あれ? さっき友だちと一緒に帰ったんじゃないかな?」という。
マジか! ちょっとショックだったが、ライヴで上気したミュージシャンにとって、こういう記憶や約束のぶっとびが起こることはある程度は理解はできた。
それよりも現実的に困ったのは、ここからホテルまでは一時間くらいはありそうだし、ハイウェイを来たから、そもそも歩いて帰れるかどうかもわからないということ(当時は海外で携帯電話を使うという発想はまだ一般的ではなく、あったとしてもトムはそんなものは持っていなかった)。途方に暮れているところに、ジョーイが美女と一緒に現れた。「へーい、リョウヘイ、どうした?」
いつもながらのゆったりとした口ぶり。隣にいた美女はジョーイの奥さんでミュージシャンのカミだった。
わけを話すとジョーイは「ああ、そうか。まあ、よくあることさ。なんならおれが乗っけていってやるよ」と言ってくれた。「その前にお腹が空いたからダイナーに行きたいんだ。一緒に来てもらってもいいかな?」
「いいとも!」と英語でぼくは返事した。


車に乗ってから30分ほど経っただろうか。
「あれ? おかしいなあ? このあたりにあったはずなんだけどなあ」
ジョーイは道に迷って、ちょっとぴりぴりしていた。確かにあったはずのダイナーを探して、さっきから車はおなじところをもう2回ほどぐるぐるしている。
「ごめんなさいね。よくあることなのよ」
カミが苦笑しながら謝ってくれた。
「ミュージシャンはね、お腹が空くと機嫌がわるくなるの」
そのうち、どこをどう曲がったのか、向こうにダイナーのストリートサインが見えてきた。「ああ、あれだあれだ!」
ようやく見つかったダイナーに車を停め、ぼくらはようやく遅い晩御飯にありついた。
カミがトイレに立ったとき、ジョーイがおもむろに言い出した。「リョウヘイ、お願いがあるんだ。カミが帰ってきたら、ぼくに日本語で話しかけてほしい。きみがなにを言っても、ぼくは“うんうん”“そうだね”って相槌を打つから、それが的外れでも日本語で話し続けてほしいんだ。そしたら、カミはぼくが日本語が話せるようになったんだって思うだろ」
小学生かよ!……とも思ったけど、ジョーイがあまりにも「いいこと思いついた」的な、いい顔をしているので、ぼくも小芝居に付き合うことにした。


カミが帰ってきた。ジョーイが軽く目配せしてぼくにキューを出した。
急に日本語をしゃべれといわれても気の利いたことも思いつかないので、思ったままのことを口にした。
「ジョーイ、あなたのベースって本当にすごいんだよ(日本語で)」
「オー、イエー、知ってる知ってる(英語で)」
「曲のコード感とかも普通じゃ思いつかないし、歌声もせつないし、メロディは最高だし、日本のファンはあなたのことが本当に大好きなんだ(日本語で)」
「あっはっはっは、あの食べ物はケッサクだったね(英語で)」
「また日本に何度でも来てほしいし、あなたたちの音楽に向かう態度がいいお手本になると思う。21世紀になっても若いミュージシャンにいっぱい見てほしい(日本語で)」
「そうそう、あのときあそこに行って、変なやつが出てきたっけね(英語で)」
「ぼくはあなたたちが大好きなんだ(日本語で)」
「オー、イエー、それは知らないな(英語で)」
カミはずっと大きな「?」マークを顔に浮かべながら、ふたりのやりとりを見ていた。「どうだい」と笑うジョーイの態度で、ふたりにだまされていたと知ったカミは「もー、ジョーイったら!」と、愛する人を軽く小突いた(お熱い)。


ホテルに無事にたどり着いたとき、時計はもう夜の2時を回っていた。
フロントにとろんとした顔でジョニーがいた。友人たちと部屋でカードギャンブルをしているんだそうだ。ジョーイはカミと部屋に向かった。ぼくもトムがくれた鍵で部屋に戻り、荷物の整理をした。翌朝一番の電車でぼくはニューヨークに戻り、午前中にJFKを発つ飛行機で日本に戻らなくちゃいけない。アラームをセットしたら、猛烈な眠気がきて、着替えもしないでベッドに横になった。


翌朝、フロントにて。
「トムさま(と、東洋人であるぼくの顔を見て別人と知り、一瞬固まったが、何事もなかったように)ですね。お会計はこちらになります」
チーン、ジャラジャラ。
バンドの優秀なロードマネージャーは、ホテルの予約違いをしただけでなく、あらたにバンドの持ち出し(有料)で部屋を取っただけだった! オー、ノー。
きっと、起きてきたメンバーたちもあとでおなじリアクションをするんだろうな。
「まあ、よくあることさ」
頭のなかでトムとジョーイの声が重なった。
手間取ってるひまはない。さっさと部屋代を払って、ハートフォードの駅へと向かい、帰りの電車に飛び乗った。


電車が動き出した。早朝の一番電車にはまだ通勤する会社員の姿もない。
窓の外を見ていたら、突然、心から笑いがこみあげてきた。
「まあ、よくあることさ」
そんなことを積み重ねながら、バンドマンは生きてきたし、これからも生きていくしかない。しくじったり、巻き込まれたり、羽目を外したり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、儲けたり、なくしたり、愛されたり、見捨てられたり、それでも愛されたり、愛したり。
おもろうてやがて悲しき浮き草稼業。はちゃめちゃに楽しい思い出ばかりで人生が終わらないことを、ぼくらは知っている。
それでも、そう生きることをやめられないのだ。
あくびをしたら涙が出た。


あの1日のことを、ぼくは死ぬまで忘れずに覚えているだろう。
彼らにとってはありふれたドタバタドラマのごく一部分だったとしても、そんなことがあったねといつかまた語り合えるのなら、その喜びは捨てたもんじゃない。