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なにかあり/とくになし

それはおばちゃんのくれたメロディかもしれない

宇仁田ゆみうさぎドロップ」8巻(祥伝社)のハイライトが
聴いたことがないはずなのに覚えている子守唄をめぐる
あるシーンなことは間違いない。


ぼくにも
そんな歌があるはずだと思う。


昼過ぎ、
地元の友人で
今は実家を継いで僧侶となっているTくんから
突然メールをもらった。


そこには
「O野田さんが二日前に亡くなりました」と
書いてあった。


その一行に
ぐらっときた。


O野田さん、
もとい、
O野田のおばちゃんは
ぼくたち兄弟が小さいころに、
多忙だった両親の代わりに
家事などの面倒を見てくれていたお手伝いさんだった。


人生のある時期、
ぼくは実の親よりもながく
親密におばちゃんと時を過ごしたという記憶と自覚がある。


最後にお会いしたのは
ぼくの結婚式のときだから
もう13年も前か。


もうすでにかなりのご高齢という印象だったけど
いったい本当はいくつだったのだろう。


渋谷の弟に連絡を入れ、
夜の帰り道で
実家にも電話した。


三連休だったこともあり
地元ではまだニュースが伏せられていたのか
母はぼくの電話ではじめて訃報を知って
とてもおどろいていた。


母によると
おばちゃんはぼくが11歳になるころまで
十数年にわたってうちで働いていたんだそうだ。


ぼくが3歳のころ
結構な重病で長期入院したときに、
下の弟がまだ小さくて手が離せなかった母の代わりに
大学病院で看病に付いていてくれたのは
おばちゃんだった。


ウルトラマンウルトラセブンの怪獣の
名前や足跡を覚えて
“当てっこ”をせがんでいたとか
サンタクロースに扮した医学部の学生さんが
プレゼントにバットとかるたをくれたという
ぼくの一番小さいころの記憶は
おばちゃんの証言を基に補完されている部分が大きい。


「あんたを抱いて寝よらしたからねえ」


母は感慨深げに電話口でもらした。
きっとそのとき聴いていた歌が
あるんだろうなと思う。


今さら思い出せるわけもないけれど、
わけもなく
心をつかまれるメロディに出会うとき
そこにおばちゃんの歌ってくれた歌の
メロディや情感のかけらみたいなものがあるのだと思う。


それは
どんな偉大な音楽家がつくったものでもなくて、
ぼくの好きだった
おばちゃんのくれたメロディなのかもしれない。


電話を切って
なんだか無性にさびしくなったので、
ヘッドホンを爆音にして
サケロックの「みんなのユタ」を聴いた。