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なにかあり/とくになし

「モテキ」のことを脱線しながら、もうすこし

モテキ」話で脱線。


昨日のディテール話に関連して、
以前に
あるアメリカ人の音楽関係者とした会話を思い出した。


そのひとは
かつてレーベルの権利関係を超えた名コンピレーションを
たくさん作っていた会社で働いていたスタッフだった。


「何故一枚のCDで
 あれほど違うレーベルの音源を入れることが出来たんですか?
 日本では会社同士の壁や金銭的な問題が大きくて
 それはほぼ不可能だとされているんです」


そのぼくの問いに
彼は笑いながら答えた。


「それはアメリカでも一緒だよ。
 でも、それがやりたいんだからやっただけ。
 もともとはおれたちはインディー・レーベルだったし
 あの曲を入れたい、こういうのを作りたいと思ってただけで
 歴史に残る良いものを作ろうっていう使命感じゃなかったんじゃないかな。
 アメリカではそれは不可能だし、
 実際、権利関係の金はすごくかかったはずだ。
 赤字になったCDもある。
 でも、やりたいことをやらなけりゃ
 結局、ひとの心はつかめないだろ?」


可能か不可能かではなく
やりたいからやっただけ。


それを聞いたときに
しばらく頭のなかがじーんとしていた。


今となっては
ドリーミーな武勇伝というか
現実離れしたユートピアみたいなものかもしれない。


でも
善意や協力を勝ち得て
やすやすとなしとげたわけでなく、
愛情を元手に
ちゃんと金も払い
痛手もこうむったという実感が
作品への信頼感をより高めさせてくれると思うのだ。


モテキ」の裏側で
ああいうディテールの積み重ねについての交渉が
どういうふうに成り立っていったのかは
ぼくは知らない。


善意も好意もあっただろう。
でも
「どうぞどうぞ」だけでは済まない大人の事情もあっただろうし
画面からは見えないが
たぶん断念したものもたくさんあるだろう。


でも
この物語を
こうやって作りたいという
原作者や監督の
思いのバカ正直さみたいなものも
細かすぎるくらいのディテールを通じて伝わってきて
とてもぐっと来たのは確かだ。


それともうひとつ。


2011年の
地震以降の日本で
こういう映画が作られて
外国人とか識者とかには
「あんなことがあったのにバカじゃねえの」と思われるのかな。


でも
それでも生きたい日常があるし
好きな女がいるってことのほうが
逆に本当のところなんじゃないのかな。
そのいじましいくらいの愚かさを
下心にもとづく生きる力を
なくしてしまっていいのかな。


恋愛して成長するなんて、ありえないし、
どん底まで落ちていくのが恋だろう?
だから
ラストは、ただしい。


映画はまだまだ公開中なので
これ以上はストーリーの話はナシにしておく。


この話は
どこかで会ったときにでも直接しましょう。
あと、
同じ日にハシゴで見た「アンダーグラウンド」の話とかも。