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なにかあり/とくになし

冬の「ひまつぶし」

こないだ
タワーレコードに行った日に
たまたま目に止まった
山口冨士夫「ひまつぶし」のCDを
何も考えずにレジに連れてってしまった。



アナログで持っているのは
80年代にジャケを新装して再発したVIVID SOUND盤で
オリジナルのELEC盤のジャケでは
まだ持っていなかったということもあるけれど、
このアルバムにいつも感じていた
ざらついた冬の空気感に
瞬間的につかまってしまったからかもしれない。


iPhoneにとりこんで
冬の朝
家を出た直後に鳴らしてみて
ほぼ全曲歌えるくらい歌詞が頭にはいっていて
思わず笑ってしまった。


声こそ大きく出さなくても
マッチの火みたいな白い息が、
ぽっ、ぽっと口から出る。


「ひまつぶし」は
そういう冬のアルバムなのだ!


何年か前に
常盤響さんと小さなイベントでDJを一緒にさせてもらったとき
アルバム一曲目の「恋のビート」を常盤さんがかけて、
その瞬間の
この声と音が空気を切り裂くそのさまが
目に見えないのに
めまいがするほどかっこよかったことを覚えている。


「ひまつぶし」では
「何処へ行っても」という曲も好きで
ぼくも一時期レコードバッグに入れ、
「何処へ行っても」なんかをときどきかけていた時期があった。


「何処へ行っても」なんかを聴くと
冨士夫さん、もしかしてこのころ
ジョアン・ジルベルトとかも聴いていたんじゃないのかなと
またまた根拠のない妄想が頭をもたげてきたりする。


そういうエレガンスみたいなものが
このひとに同居していたとしても
ぼくには全然おかしくない。


今年の春、
忌野清志郎トリビュート・コンサートのパンフ制作のため、
桜満開の京都に出かけて冨士夫さんに取材をした。


そのとき交わした
いくつかの会話のなかにも
もしかしてそうかもと感じさせる種類の美意識が
とても濃厚にあったことを思い出したからだ。


音楽としてのボサノヴァは聴いていなくても
若者たちの居場所のない思いを漂わす
ボサノヴァ本来の根無し草な性根が
つながっているような気が、する。


「ひまつぶし」を
本編ラストの「からかわないで」まで聴き終えて
さあ次は何を聴こうかと思いつつ、
ぼくの指は勝手な動きをして
スカートの新作「ストーリー」をセレクトしていた。


何故だろう。


スカートの「ストーリー」と
山口冨士夫の「ひまつぶし」は
とてもよくつながる。
どちらも
白い息を吐き出しながら聴きたくなる。


これは現実。
妄想じゃない。
タイトル曲「ストーリー」を口ずさむ
白い息がそれを証明している。